忘却回避録

過去を引きずる人の為の忘却回避録。そんなわけで。
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劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 を見て

あの花、あの花とばかり言っていたので、正式なタイトルが一瞬わからなくなっていた。
何でもかんでも略すのは、非常に効率的であると同時に、寂しさも感じるものだ。

まぁ、公式の製作名が 「あの花」製作委員会なわけだけど。

そんなわけで、最後に句点がついているのを知っていたような知らなかったような、そんな感覚を覚えた。



ところで、
話の出来などについては言及しない。
単純に、泣かされたアニメだったし。
どこかのブログで卑怯なアニメだと書かれていたけれど、その通りだ。
これはいい意味で、そしていろんな意味で卑怯なアニメだったと思う。

では、何について書くのか。


それは、呪縛について





あの花を観て、呪縛について考える人間が何人いるのかはさておいて。

超平和バスターズの面々も、それぞれがそれぞれに、心に傷を負っていた。
それは、皆同じあの日のこと。
その傷は、誰がつけたわけでもなく、皆が皆、自分で自分を傷つけたといっていいだろう。
そして、その傷はすなわち、
あの日から超平和バスターズが解散したときから始まり、10年後の花火の瞬間まで続いた、

呪縛。

呪縛っていうのは、本来自分以外の誰かから受けるものだが、
その実は案外、自分自身が掛けていることのほうが多い。
自分のしてしまったことへの後悔や懺悔。
それが取り返しのつかないものであればあるほど、その思いは強さを増し、
呪縛へと姿を変えて、自らの心に鎖を巻き枷となり自由を奪う。
過去に囚われる。

幼いながらに負ってしまった傷は、最初こそは小さなものだったのかもしれない。
傷としては大きくても、傷は時間が経てば多少は癒してくれる。
だが、それは次第に呪縛へと変わっていく。
少しずつ大人になるにつれて、夏が来る度に。

自分自身がかけたのならば、解けるのも自分自身。

そういうわけで、皆、自分自身と向き合ってその解くことが出来たというわけである。


では自分はどうだろうかと考える。
何故、呪縛について考えたかは此処にある。

自分自身、過去の自分の未熟さ・過ち・悔い、そういったものから生まれた呪縛を抱えているからだ。
このブログ自体が、それを顕しているにならない。

始めは呪縛をかけられたと思っていた。
今はと言うと半々といったところだろうか。
だがどちらかというと、自分自身で呪縛をかけているほうが強いように思う。
これは清算したくても出来ない、正に取り返しのつかないことだから
呪縛をかけ続けることによって、少なからず、過去の自分へのそして相手への懺悔の気持ちのような。

やり直せるなら、本当にそれこそ1じゃなく0からやり直したいと、何度も何度も思ったことだ。
でも結局のところ、それはあくまでその過去の歴史を知っている自分だからであって、
何も知らない、その歴史を歩んでこなかった自分では、同じ道を辿ることになるんだと、
それこそが、いわゆる運命なのだと思っている。
ならば、その過去をなかったことにしてしまっては、何も変わらないじゃないか。
その過去があったからこそ、今こうして悔いている自分がいる。
それは決して素晴らしいことでもなんでもない。
悔いれば済む話でもない、起きたことは変わらないし、してきたことは変わらない。
でもそうする以外に何も出来ない。

だから常に後ろばかり見てきた気がする。
何をするにも後ろばかり気になって、過去ばかり気になって。
後ろめたさを感じて。

悪く言うのであれば、そうしている自分に酔ってるのかもしれない。
そうしていれば、そうして"さえ"いれば、自分は悪くないんだと無意識に思えるから。
まぁ、決してそんなわけではないのだけれど、そう指摘されても全否定は出来ないんだろうな。
結局のところ、卑怯者には違いないのだから。

そんな折、母親が居なくなって、何かが少し変わった。
この5年あまりの間、遅い親孝行を自分なりにしてきたつもりだったが、それも親への懺悔の気持ちからだった。
こちらは取り返せると思っていた。でも現実はそうでもなくて。
望む未来は訪れずに、急に居なくなってしまった。
自分の中でも、その未来は、決して母親が望んでいるものじゃなくて、自分だけが望んでいるものだというのはわかっていた。
母親を幸せにしてあげたい喜ばせたいという気持ちは確かなものであったけど、
でも実は独りよがりな自分勝手なことだったのかもしれない。

母親が本当に望んでいたことは、自分の望んでいたこととは違ったんだと思う。
人は本心を隠すことが出来る生き物だから。嘘を本心だと偽ることが出来る生き物だから。
本当はどっちを望んでいたのか、今ではもう永遠に知る由はない。

だから、というわけではないけれど。
いつまでも後ろばかり見ていては仕方ないという気持ちが芽生えてはいる。
それが少し変わったこと。

あの日あの時から、自分ももうそろそろ10年が経とうとしている。
当時はそうなるとも知る由もなかった人生の岐路に直面したあのとき。

10年経てば、自分も超平和バスターズのように呪縛を解くことが出来るのだろうか。


いや、無理だろうなぁ。
自分のことだからわかる。
現実はそう甘くないからな。
まぁだからこそ、創作物で泣いて思いを馳せる。
それくらいしか出来ない。

でも、せめて、呪縛は傷痕に昇華させないといけないな。
と思う、劇場版あの花を観た感想なのであった。

そんなわけで。


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